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◇◆ Swingyと音楽 ◆◇

 

14.7.3最後の方、「演奏する意味」など一部修正)

 

音楽、ピアノ、ジャズとの出会い。

のめり込み、あきらめ、再びプロを目指して、、、

 

さらに、友人の問いかけがあったので、

「今も音楽を続けている理由」も考えながら

書いてみたいと思います。

 

かなりの長文になってしまいましたが、

ご興味ありましたらお読み下さい。

 

   *  *  *  *  *  *  *  *  * 

 

1970年 浜松市生まれ

 

<最初の音楽体験>

 

 記憶にある中での最初の音楽は、「ドレミの歌」。

 

母親がピアノ教室をしていましたので、おそらく母がピアノ教室

の発表会で、生徒達と一緒に歌ったり演奏したりしたものを録音

したレコードだったのではないかと思います。楽しく聴いた覚えが

あります。

 

 

<最初の演奏&合奏体験>

 

 3歳頃、まだピアノも習う前、おそらく母親がピアノを弾いて、

僕がクッキーの缶を叩いたりしたことがあったように記憶してい

ます。そしてそれが楽しかった!

 

 後にピアノのレッスンが始まってから、練習は嫌なものになって

しまいましたが、それでも、早くに人と一緒に音楽をやる楽しさを

体験できたことが、もしかしたら、その後も良い影響を残している

かもしれません。

 

 

<ピアノのレッスンと音楽教室 幼稚園〜小学生>

 

 始めは母親からレッスンを受けましたが、すぐにけんかになっ

てしまって、レッスンにならず、ほどなく他所へ習いにいくことに。

 

 おそらく、最初に行ったのがグループでの音楽教室だったろう

と思います。そこでは、和音の進行や音感訓練、変奏などもあり、

これらは後に様々な音楽をやる土台として、とても役に立ちました。

 

また、たまにはロックンロール風の曲があったりして、それはとて

も楽しかったことを覚えています。今もブルースとかロックンロール

とか、結構好きです。

 

グループでは友人がいたこと、また、比較的できる方だったらしく、

劣等感を感じずに済んだのも幸いだったのだろうと思います。

 

絶対音感もここで身に着けたのかもしれません。演奏技術は

自信がなくても、音感に関しては自信をつけました。

(その能力に甘えたことは、逆に他の面の成長を遅らせること

にもなりました)

 

やがて、並行して個人レッスンも開始。先生も母も厳しく、曲も

気に入る曲は少なく、ピアノの練習はほとんど嫌でした。

唯一自分から弾いた曲が「エリーゼのために」。

 

♪幼稚園頃の好きな曲 「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」

 

♪ジャズの記憶・・・ジャズと意識していませんでしたが、かなり

Jazzyである、「ピンクパンサー」は好きな曲でした。

 

小学校高学年の頃には、レッスン曲よりも、コード譜でポップス

などを弾いたりして遊んでいました。

 

ヒット曲をかたっぱしから歌ったり弾いたりしていました。

中でも好きだったのは、ゴダイゴ、沢田研二。

 

 

<中学時代(’82〜’85年)>

 

引越しを機に、ピアノのレッスンはやめましたが、ポップス、ロック、

ニューミュージックなどを聴くのは大好きでした。

 

♪ジャズの記憶・・・音楽の授業でレコードを聴いた「聖者の行進」。

メロディがどんどん変わっていくのが面白かった記憶があります。

 

♪好きな音楽・・・オフコース、松山千春、さだまさし、アルフィー

井上陽水、原田真二、シカゴ、ビリージョエル。(高校時代も同じ。)

 

<高校時代(’85〜’88年)>

 

友人がギターの弾き語りをし、僕がコーラスをつける、なんてことを

毎日のようにやっていました。

 

高3の学園祭では、仲間とバンドもどきをして、僕はキーボードを

弾きました。オフコース、長渕剛、さだまさし、井上陽水などの曲です。

 

 

♪ジャズの記憶・・・高校の時、音楽室で友人がさらっと弾いたピアノ、

テンションがたくさん入っていたであろう厚い和音が衝撃的だった。

「コイツ違う!」って感じ()

 

♪音楽との向き合い方

 もちろん、楽しかったからやっていたのですが、だんだん、将来は

プロになれたらいいなと思うようになってきました。

 

僕がオフコースの曲に感動したように、僕も、人に感動してもらえる

曲を作りたい、演奏をしたいと思っていました。

作曲も好きで、これも仕事にできたらいいなと思っていました。

 

 

   *  *  *  *  *  *  *  *  * 

 

<大学時代(’89〜) ジャズピアノを始めるまで>

 

 上京して大学へ。

バンドや合唱など、音楽サークルにいくつも入りました。

 

 当時組んでいたバンドは、ファンクやらプログレやら、ジャズ風の

ものやら、色々やるバンドだったのですが、ニューミージック周辺し

か知らなかった僕には良く分かりませんでした。

 

 また、原田真二のライブに行って、彼のピアノのあまりのかっこよさ

に、これは無理だと思い、一度プロになることをあきらめました。

 

 そして、親との約束もあったので、(本当は無視して音楽をやって

いこうと思っていたのですが・笑)法律の勉強を始めました。

 

ただ、全く音楽の無い生活は難しく、比較的勉強の妨げになりにくい

と思われる、歌の入っていない音楽を聴くことにしました。

ジャズ、クラシック、民族音楽、その他いろいろ。

 

 

♪ジャズの記憶・・・あるとき、5拍子の曲だというので興味を持った

デイブ・ブルーベック・カルテットの「Take Five」が面白く、ジャズ

を聴くようになりました。

 

♪好きな音楽・・・ ジャズなど黒人音楽や、ジプシー音楽など。

プリンス、チキンシャック、ラカトシュ・ファミリー、他、色々・・・。

 

 

♪音楽との向き合い方

 

 そんなこんなで、生まれた時から音楽はいつも身近にありましたし、

音楽の無い日は一日もなかった。大学受験の一年間、音楽を聴か

なかったけれど、結局、頭の中ではいつも音楽が鳴っていました。

そのくらい、切っても切り離せないもの・・・。

 

 人生の中で、言葉にできなかった思い、表に出せなかった感情が

心の奥底にたくさん積もっていて、それが、音楽でなら、表に出せた

のです。しかも、思いのほか美しく昇華されたりして()

 

だからいつも音楽をやりたくて、

(いつもやりたいのだから、結果的に続く。)

 

そうして作る音楽に自信があった

(始めた頃は、今よりもずっと)

 

だから、仕事にしようと思ったのでしょう。

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  * 

 

20代(’90年代)  ジャズピアノを始めて>

 

 20歳で同級生があいついで二人亡くなりました。僕は特に重い

病気があったわけではないけれど、その頃からずいぶんと調子が

悪くて、このままどんどん悪くなったら、30歳まで生きないかもしれ

ないと感じるほどでした。

 

 司法書士試験の勉強をしていましたが、体調の悪さもあって、

行き詰まり、在学中に受かる可能性はもうほぼありませんでした。

 

 さらに、精神的にも危うくなってきて、頭に思い浮かぶ音楽が

どんどん壊れてきているのも感じました。

 

 「もう、今、音楽をやっておかなくては!」

 

 一番好きな音楽は、ハンガリーのジプシーバイオリンでしたが、

さすがに今からそれは無理だと分かりました。

(一応、バイオリンも少しやった。)

 

 そして、ジャズでも、ピアノが主役で好きなように即興演奏をする

ということが、とても魅力的でした。

 

 また、マル・ウォルドロンやセロニアス・モンクの演奏を聴いて、

「ジャズって、テクニックやセンスがそんなになくても、強い個性が

あれば認めてもらえるんだ」と感じてしまいました。もちろん、後で

そんな甘くないことを知りましたが(笑)

 

みんなが就職活動をしている頃、プロになると決めて、レッスンを

開始! しかし、わずか3ヶ月で手首を痛め、半年後には、「これ

はもう当分弾けないな」と思う状態になってしまう。が、プロになる

と決めたのです()

 

 家庭教師や教材の校正のバイトで食いつなぐ。そして、ピアノ

を教える仕事もし始め、以後、新たに音楽以外の仕事をするのは

やめると決めました。

 

 1994年練馬区氷川台にて「外山ジャズピアノ教室」オープン。

 

手首はなかなか治らず、教えることが中心の生活でした。時々

フラストレーションがたまって、思い切り弾いてしまい、また痛める

といった悪循環もありましたが、バッハのインベンション一番を全調

で弾くなど、丁寧に練習して、調子を整えました。

 

95年頃 ボーカルの方と、オリジナル曲をやるユニット結成し、

「マクトゥーブ」としてしばらく活動。

 

96年頃 ギターの友人が家まできてくれて、嫌というほど一緒に

練習。9798年頃には「Toy-Ohta」としてライブ活動。

 

97年より、池袋「スタジオ・フォルテ」でもレッスン開始。

 

 

♪好きな音楽 音楽について

 

 この頃は、ジャズピアニストのバド・パウエルや、テナーサックス

奏者のベン・ウェブスターが大好きでした。「自分が死んだら、

ベン・ウェブスターの『Old Folks』をかけて欲しい」と思ったり、

 自分の演奏については、「誰か一人でもいいから、僕の演奏を

墓場まで持って行きたいと言ってくれたら十分だ」なんて考えて

いたなあ。(今は考えてない)

 

(その他、この時期以降の好きな音楽は「Swingyの好きな音楽」にて)

 

 作曲、編曲、カラオケ制作などもやりましたが、四六時中パソコン

に向かって作業しているうち、首、背中、腰と痛む場所が広がり、

にっちもさっちもいかなくなってしまいました。

 

 

 

30代〜(00年代)

 

2000年〜01年 バンド「Twinkle Sense」で活動。

 

 98年から、治療や水泳に通うだけでなく、いろいろと体の使い方

の勉強もはじめたのですが、残念ながら02年になる頃、肘を完全に

使い物にならない状態にしてしまい、演奏活動は3年ほどストップ。

 

03年教室を練馬区桜台に移転。

 

0512年頃、年に数回、インプロ(即興演劇)に即興演奏で参加。

 

06年 世田谷の「ポッケ」にて久々のジャズライブ。

 

08年頃 VocalistMichikoさんと、池袋「ばがぼんど」に定期的に出演

 

10年、CD「夕日はいつも優しかった」発売。

 

10113月、池袋サンシャイン60の「オザミ59」にてソロピアノ演奏。

 

12年〜、ポエトリー・リーディングのイベント「開口一番」にて、ほぼ毎回

キーボード即興演奏。

 

 

♪身体操作を学ぶ

 

振り返れば、手首、肘、腰、首とずいぶんあちこち痛めてきてしまい

ました。でも、そのおかげで体・健康、弾き方について色々と学ぶことが

でき、長い目で見れば、良いこともたくさんありました。

 

99年〜、小野ひとみ先生より「アレクサンダー・テクニック」のレッスン、

星野稔先生より「太極気功十五勢」等のレッスンを数多く受講。

 

05年〜、野口整体に興味を持ち、長谷川浄潤先生、角田功先生らの

整体や講座を受講。

 

11年〜、武術家の甲野善紀先生、ご子息の甲野陽紀先生の講座や

山伏で音大講師の長谷川智先生の講座に多数参加。

 

 13年〜、身体教育研究所 野口裕之先生の講座に参加

 

他にも、数多くの先生方よりアドバイスを頂きながら、より元気に、素敵

な演奏ができるよう、また、皆さんにもそういう演奏ができるようになって

頂けるよう、研究をしています。

 

 

♪教室

 

2008年、西早稲田にスタジオを借り、教室名も「Swingy Jazz School

と改め、レッスンがより楽しくなるよう、新しいことにチャレンジしています。

 

2009年、ワークショップ形式で「ソロピアノ講座」「アドリブ講座」開催

 

2010年より「アドリブ講座」を約10回を1セットで開催。ピアノ以外の

さまざまな楽器の方にもお越しいただき、毎年盛り上がっています。

 

 

 

♪音楽との向き合い方

 

 上記の通り、ずっと手の痛みと格闘してきました。こんな風だから、

逆に「演奏したい」という気持ちがずっと続いたとも言えるのかもしれ

ません。

 

 演奏活動が少ないから、自信を失う場面が少なくてすんでいるとい

うこともあるかもしれません。

 

 同様に、演奏活動が少ないから、厳しい意見を頂くことも少なく、

酔っ払いに絡まれることもなく、演奏活動が嫌にならなくてすんで

いるなんてこともあるかもしれません。

 

 まあ、始めた頃よりは、ずっと身の程がわかってきたけれど、今も、

というより、むしろ最近の方が、「これでぐっと上手くなる!」と思うよ

うな発見をすることがあり、少しずつながら、まだ前に進んでいます。

 

 そして、幸いにも、僕の曲や演奏を気に入ってくれる人がいる。

それは、やっぱり演奏活動をする上でどうしても必要だと思います。

 

 もしも、誰にも気に入ってもらっていなかったら、どうしただろう・・・。

痛めた腕の治る見込みが全くなかったら、どうだっただろう。

演奏活動をしないでレッスンだけを、やっていられたかな?

 

 一方、もしも、プロを目指さず、ずっとアマチュアとしてやっていた

らどうだっただろう。

 

 たぶん、腕を壊すこともなかっただろうし、ジャズがあまりに難しく

感じていたら、他の音楽をやったりして、何だか、今の自分より楽

しく音楽をやっていそうな気がする()

 

 ま、それはそれ・・・。音楽を仕事にすると決めてスタートし、その

頃描いた生活とはずいぶん違うけれど、何とか音楽でやれているし、

他に、音楽ほどやりたいことはないので、今はこうしてやっています。

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  * 

 

音楽を続けている理由と関連して、

「音楽を演奏する意味」について

 

 

それは、決まっているものだとは思っていません。

人によって違うものだろうと思っています。

 

さらに、僕が演奏する意味ということであっても、その都度、お客

さんとの関係によって変わってくるのではないかと思います。

 

・僕の曲、僕の演奏が大好きだと言って集まってくれる人に聴い

てもらうとき。

 

・レストランでBGMとして演奏するとき。

 

・教室で生徒に聞いてもらうとき。

 

・病院などに慰問することがあるとすればそのとき。

 

それぞれ演奏する意味が違ってくるだろうと思います。

一回の演奏の中でも、お客さん一人ひとりの受け取り方によって

も違うのではないでしょうか。

 

 

誰と演奏したいのか、

誰に聴いてもらいたいのか、

 

色々な人たちとやりながら、

色々な人たちに聴いてもらいながら、

その意味を見出していけば良いのではないでしょうか。

 

 

僕は、自分が生きる意味も、元々決まっているものとは考えていな

くて、上で書いた、音楽をする意味と同じように、生きていきながら、

自分で見出していくものだと考えています。

 

 ここで見出すとは、初めから決まっているものを見つけるのでは

なくて、自分が関わる人との関係の中から生まれてくるものを見つ

けるという意味です。

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  * 

 

 また、演奏する意味は、時代によって、社会環境によっても変わっ

てくるように思います。

 

東日本大震災を経て、演奏をする意味を改めて考えました。

 

お客さんに楽しんでもらうために、お客さんの好きな曲を演奏する

ことも一つだと思うけれど、僕の理想としては、

 

「今この時、この場所を共に生きていることを感じ合いたい」

という気持ちが強くなりました。

 

 

この文章を書いた後で、ライブをやってみて感じたのは、

まず「自分が生きている」ということをもっと感じたいのだな

と思いました。

 

そして聴いてくれている人たちも、何となくでもそういった

感じを味わってもらえたらとてもうれしいです。

 

 

以前から興味のあった和太鼓も少しやりはじめました。

 

聴き手の体を芯から揺さぶる強いビート。

アンプを通さず生音で、全身で共鳴でき、

生きていることをビンビン感じられる音。

日本人に染み込んだ何かを持っている音楽。

 

それが和太鼓の音楽であり、僕の思う、「生きていることを感じ

合える音楽」のイメージに最も近い音楽。

 

あいにく、そうそう練習する機会はないので、なかなかできるように

なりませんが、少しずつでもやりながら、あるいはやっている人たち

との交流を生かして、何かできたらと思います。

 

もちろん、和太鼓に限らず、

 

「今この時、この場所を共に生きていることを感じ合う」

 

演奏ができたらと思います。

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  * 

 

 数年前に、ふとひらめいたこと。

 

僕が主催するライブパーティー。

 

皆で食べて、飲んで、じゃべって、演奏して、

僕はただにこにこして座っているだけ。

 

パーティーが終わって、皆が帰路につく頃、

「あれ、今日はSwingy、何も弾かなかったんじゃない?

ま、いっか楽しかったし。」

 

みたいな感じ。

 

僕の頭にひらめいたんだから、

心のどこかで望んでいるだろうけれど、

 

実際にそうするには、まだ僕は聴いてもらいたい

という欲が強すぎるようです()

 

                         Swingy

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